2020年8月8日、東京・大森にあるウィロード山王商店街(大森柳本通り商店街)に、一軒のビールスタンドがオープンしました。大森山王ブルワリーのビールスタンド「Hi-Time」。ここでは、大森山王ビールを試飲・購入することができます。
大森山王ブルワリーは、これからの大森の文化を醸成するというミッションを掲げ、大森という町をおもしろくしようとする活動のひとつとして、2019年に誕生。かつては行楽地でもあり、旅館や料亭なども数多くあったという大森の歴史を大切にしながら、ビールを通じてこれからの大森をつくり出そうとしています。
では、大森山王ブルワリーの活動を通して、大森をどんな町にしていきたいと考えているのか。大森山王ブルワリーの企画・販売を行っているMobilExSchool合同会社代表の町田佳路さんに、大森山王ブルワリーが目指していることについて聞きました。
地域の人たちをつなげる媒介としてのビール
MobilExSchool合同会社代表の町田佳路さん
――大森山王ブルワリーは、大森山王ビールとして「NAOMI」「GEORGE」「KAORU」という3種類のビールをリリースしていますね。
町田佳路(以下、町田):はい、大森山王ビールとしては、2019年7月から販売しています。かつて大森はハイカラな町だったということと、人が主役の町だということを伝えるために、人の名前を商品名にしました。
大森が舞台となった谷崎潤一郎の小説『痴人の愛』から、その登場人物の名前が付けられた「NAOMI」。カフェの店員だったナオミにちなんで、コーヒーチェリーを使用している。香り豊かなペールエール
――大森山王ブルワリーは、大森でビールを造っているわけではないんですよね。町田さんは醸造家ではないですが、大森山王ブルワリーを立ち上げてどんな活動をしているんでしょうか?
町田:僕は9年前に独立して、ウェブサイトやイベントの企画・プロデュースをしています。ただ、新型コロナウイルス感染症拡大の影響もあって、そちらの仕事は減ってきていますね。今は9割5分くらいがビールの仕事です。
――もともとビールは好きだったんですか?
町田:はい。でも、クラフトビールにはそこまで詳しくなくて。その世界を知るようになって、よりビールがおもしろいと感じるようになったんですが、詳しいと言えるほどではないですね。
――キリンビールが開催している、キリンビールサロンの第一期にも参加していましたね。
町田:そうですね。キリンビールがどんなコミュニティをつくるのか、勉強のために見てみたかったんです。そして、ビールが好きな人たちとのつながりを楽しみたいし、もっとビールに触れてみたい、学んでみたいと思って参加してみました。
――キリンビールサロンに参加して、何か参考になったことはありましたか?
町田:もちろん、ビールにまつわるいろいろな体験ができたことが何より参考になりましたが、主催者側は参加者とどんなコミュニケーションを取っていくとより体験価値が上がるか、といったことを考えられるきっかけになりましたね。自分も大森山王ブルワリーを始めたばかりでしたし、自分たちのコミュニティに生かせるなと思ったこともありました。
「NAOMI」と同様、『痴人の愛』の登場人物から名付けられている「GEORGE」。ジョージが抱く恋心にちなんで、愛媛県中島産の伊予柑を使用。華やかな香りと酸味が特徴的なヴァイツェン
――町田さんは、大森という町でコミュニティをつくって運営していますが、なぜビールをツールとして使おうと思ったんでしょうか。ビールはアルコール飲料なので、飲む人や時間、場所も限られますよね。
町田:最初は衝動的だったかもしれません。理由としては、クラフトビールが人気になってきて、その多様性に惹かれたということがひとつ。もうひとつは、アルコール飲料といっても、ビールはとにかく普及率が高く、高価なお酒ではないですし、ワインや日本酒に比べると手に取りやすいからということですね。
大森の多様な交流が生み出す文化的な「薫り」、大森海岸などの自然が織りなす「香り」、大森駅の発展に大きく寄与した鉄道敷設に尽力し、別荘地を山王小学校に提供した「井上馨」から名付けられた「KAORU」。米と塩を使用してやや甘さの引き立つペールエールに仕上げている
――なるほど。ビールは比較的気軽に飲めるお酒ではありますね。
町田:それと、福沢諭吉のビールについての説明がすごく好きで。福沢諭吉が書いた『西洋衣食住』に「『ビィール』と云ふ酒あり。是は麦酒にて、其味至て苦けれど、胸膈を開く為に妙なり。亦人々の性分に由り、其苦き味を賞翫して飲む人も多し」という説明があるんです。「胸膈を開く」というのは「胸の内を明かす」ということで、ビールはそれにふさわしいお酒だということなんですよね。
地域の人たちがビールを媒介にして、年齢や職場などを超えてつながればいいなと。確かにアルコール飲料なので難しい部分はありますが、人と人の媒介になるところに惹かれました。
新型コロナウイルス感染症拡大によってビールスタンドに方針転換
――実際にどんなコミュニティをつくっているんでしょうか。
町田:僕が立ち上げた会社では、「サンデーカンパニー」という活動をしています。そのメンバーたちが毎月2回日曜日に集まって、会社の戦略をみんなで考えているんですよ。メンバーは、大手企業に勤めている人やフリーで活動している人、お店を経営している人などさまざまです。
――メンバーは何を目的として参加しているんでしょう?
町田:目的も人によって違いますね。会社以外に所属する場所を持ちたいとか、地域活動をしたいとか。それと、大森山王ブルワリーの工場を造りたいと思っているので、それに参加したいという人もいます。僕にとっては、すごく頼りになる仲間たちです。
――2020年8月8日にオープンした「Hi-Time」にも、サンデーカンパニーで出た意見が反映されているんでしょうか? お店の形態としては、あまりほかに見ない感じがしますね。
町田:そうですね。まず、お店以前にビールの冷蔵保管場所が必要だったんです。その場所を探していたら、もともとスーパーの駐輪場だったところが見つかった。でも、冷蔵庫を置く場所だけにしてはもったいないし、お店にするには狭いし、という広さでした。
大森山王ビールを試飲・購入できるビールスタンド「Hi-Time」(写真提供:大森山王ブルワリー)
――その場所が見つかったのはいつですか?
町田:2020年2月くらいですね。その当時は、カウンターだけで2、3人が飲めるような設計をイメージしていました。でも新型コロナウイルス感染症拡大もあって、断念したんです。2人でも密になってしまうので。そこでいろいろと考えて、狭い入り口があるよりも、オープンにしてしまったほうがいいんじゃないかと考えたのが5月半ばくらい。そこで方向性を切り替えて、今の店になりました。
――ということは、新型コロナウイルス感染症拡大がなければ、カウンターのある店になる可能性もあった、と。
町田:かもしれないですね。新型コロナウイルス感染症拡大の影響もあって、樽が売れなくなったということもあります。樽が売れなければボトルで売らないといけないんですが、800円近いビールがそんなに売れるわけでもない。それもあって、500円のワンコインで出せればという考えもありました。
――「Hi-Time」では樽の大森山王ビール3種類が飲めるんですよね。
町田:はい。樽ではなかなか売りにくいとお話ししましたが、ここではとにかく大森山王ビール、そしてクラフトビールに触れてほしいと思って樽生ビールを提供しています。4月から7月にかけて頑張ってボトルビールを販売できたので、樽になったらもっと売れるだろうなという感覚はありました。大森駅のアトレ大森さんの催事でたまに販売させてもらっているんですけど、「Hi-Time」でも同じように売れるようになりました。
「Hi-Time」では、大森山王ブルワリーの3種類のビールに加え、近隣エリアを中心としたビールも販売される予定
――すごいですね。ボトルが思ったより売れたというのは、どういった要因があったのでしょうか。
町田:3つあって、ひとつはクラウドファンディング。ただ、クラウドファンディングといっても、困っているので助けてくださいということにはしたくなかったんです。なので、支援者が大森山王ビールを支援してくれたら、指定した送り先に加えて見知らぬ誰かの誕生日にビールが届くというプロジェクトにしました。
――支援金額も目標達成していましたね。あと2つはどうでしょう。
町田:あとは、単純に通販が伸びたっていうことですね。外出できないから、家飲みが増えたということがあります。もうひとつはアトレ大森さんでの催事販売ですね。
内輪だけの盛り上がりにならないように
――売上が増えてきているのは、地域での知名度が上がってきたからということもありますか? 地域ではどうやって大森山王ビールを広めているんでしょうか。
町田:大森山王ビールとしてリリースしたのは2019年7月。デビュー時にアトレ大森さんでのイベントができて、翌月から近隣店舗への卸売りも始めました。ただ、卸売りって、かける時間などのコストに対して、そこまで利益にはならないんですよね。でも、町の人たちにも知ってもらえるし、応援してもらえる状態をつくりたいと思ったので、1軒1軒まわっていました。地域のイベントに呼ばれたら参加しましたし、絶対断らないと決めていました。地域の人とどれだけ協働してやっていけるか、敵をつくらずにやっていけるかということも考えていて。
――でも、敵をつくらないということは、内輪だけで盛り上がるだけになってしまう可能性もありますよね。内輪だけにならないようにすると、敵ができることもある。そのバランスはどう考えていますか。
町田:そうですね、違う言い方をすると、それまでの活動拠点であった「アキナイ山王亭」という施設が、何をしているのかわからなかったということがあるんです。「アキナイ山王亭」というのは、ウィロード山王商店街(大森柳本通り商店街)で僕が運営している施設。地域住民の休憩所でもあり、団体の活動にも使っていて、地域交流ができる場所なんです。
――「Hi-Time」もすぐ近くですね。
町田:ここが何をしているのかわかりにくくて、それが内輪だけでやっているように思われる。それを打破したいんです。なので、大森駅のアトレ大森さんでも販売して、地域のお祭りにも出て、顔を売っているというか。
――仲間を広げていくという言い方もできるでしょうか。第三者から見ていても、広がってきている感じはしています。
町田:そうですね。ただ、実は2018年5月にも一度ビールを造っているんです。ビールを造って、仲間内ではすごくいいと思っていたんですけど、町の人たちは興味がない感じもあって。「大森で造ってないの?」と言われて気持ちが落ちてしまったときもありましたよ。イベントでビールを出せばおもしろいと思ってもらえましたけど、次にはつながらなかったですね。
――内輪で盛り上がっていただけだと。
町田:そのときは町の人たちと共通項を持たずに、自分たちがいいと思っただけで発信していたんですね。それがまさに内輪でした。そういうこともあって、地域の歴史を調べることから始めて、「NAOMI」「GEORGE」という商品名にしたんです。
――地域にしっかり紐付けて、インパクトもあるしうまいネーミングだなと思いました。
町田:でも、そこに至るまでが本当に大変でした。その過程を見てくれている人もいるので、それもあって受け入れてもらえるようになったのかなと。
――お店の状況を拝見したら、すごく町に溶け込んでいる感じでしたね。「NAOMI」「GEORGE」という商品名にしたから今があるのかもしれないですけど、今はこの名前がなくても売れるような気がしました。
町田:それはよくわかります。10年くらい前、布団屋さんに言われた「布団は売っていない、自分を売っているんだ」という言葉が今になってやっとわかったんですよ。自分はビールを売っているんですけど、売っているのは「NAOMI」と「GEORGE」、そして「KAORU」だけではないような感じがしています。
――何かを売る上での段階がひとつ上がったように見えますね。町田さんが目指しているところに近づいた感じはありますか?
町田:町のおばあちゃんも大森山王ビールを買ってくれて、テレビでも取り上げてもらって、大森のビールだと言ってもらえるようにもなりました。それはすごく嬉しいですね。一方で、老若男女みんなに買ってもらうのは難しいとも思っていて。でも、いつもと違うビール体験をしてもらって、興味を持ってもらうことで、町やビールのことを知るきっかけにもなる。そうなればいいなと思います。
地域活動には大義名分の共有が必要
――ビールのコンセプトとして、境界線をなくしたいということがあると思いますが、それは大森という町に何か改善すべき点があると考えているからでしょうか。
町田:かつての大森は、熱海のようなイメージだと思ってもらえればいいと思うんですね。山王という地域は別荘があって、今では高級住宅街になっている。海のほうでは海水浴場があって、旅館も店もありました。そういった歴史も踏まえてハイカラと言っているんですが、昔はすごかったんだよということを知ってほしかったんです。
――大森を詳しく知らない自分からすると、今の大森にそんなイメージはあまりないですね。
町田:それと、もっと自分たちが住んでいる町に興味を持ってもらえたらいいなと思っています。住んでいるところに興味がないと、ただ住んでいるだけになってしまう。
――住んでいるところに興味を持てるようになると、簡単に言えば「生活が豊かになる」ということでしょうか。町の文化を知ったり、地域とつながりができたり。
町田:そのとおりです。豊かになって楽しくなるんじゃないかと思っていますし、住む町への問題提起というか、いろいろと見えてくる部分もあると思います。それは僕自身が感じた問題かもしれないですけれども。
――これまで町田さんが大森で長く活動をしてきたことが、今うまくいっていることにつながっていると思いますが、例えば、他の地域で同じことをしようとした場合、町田さんのような活動はそこでも必要になると思いますか?
町田:そうですね……。僕の場合、多くの人が一緒に活動してくれたということが大きいと思います。そうなるには大義名分が必要で、活動を理解してもらうには時間が必要でした。大森でビールを造るにも、昔は何を勝手にやっているんだと思う人も多かったかもしれないですが、子どものイベントや商店街の活性化活動など、地域活動を続けてきたことを見てくれていた人たちが応援してくれている。その時間が僕には必要だったんです。
――大義名分が必要だというのはしっくりきますね。それを形づくって理解してもらう時間が必要だと。
町田:地域活動をするにあたって、キーマンのような人はそのときどきで変わる感じもあるし、僕がもう一度最初からやるとなっても、方法としては再現性はないかもしれませんね。僕は商店街で活動していたことは知られていましたけど、他の地域活動をしている人と一緒に活動する機会があって、そこで大義名分が町に共有された感じがしました。その人たちも同じように考えている大義名分があって、それが合致して加速したのかもしれません。
「まちづくり」ではなく「みちづくり」
――町田さんは長く地域活動をしてきていますが、まちづくりをしたいということが目的なのでしょうか。
町田:地域の人が町に興味を持っている状態、人に興味を持っている状態をつくりたいですね。「Hi-Time」という名前も、町で挨拶する人が増えるようにという思いもあって。点と点、誰かと誰かをつなぐと、線ができますよね。それを僕は「みちづくり」と言っているんですが、その「みち」がたくさんあれば、町の活性化にもなると思っています。
――まちづくりではなく「みちづくり」。おもしろい考え方ですね。
町田:その「みち」の総和が「まち」になるんじゃないかと。挨拶の数や関係値の数が多ければいい町なんだろうと考えていて、その関係の間にビールがあればいいなと思っています。
――まちづくりを目指しているわけではなく、関係性を増やすことを目指しているということですか。
町田:そういうことですね。それがまちづくりっぽく見えているんです。
大森でビール工場を造れればまた新しい段階が見えてくる
――今後はビールでどんな展開を考えているのか、教えてください。
町田:大きな目標としては、大森にビール工場を造ること。大森には2002年までアサヒビール東京工場があって、アサヒスーパードライも大森で生まれているんですよ。大森にビール工場があったことを昔の人は覚えていて、大森のビールが飲みたいという声もあるので、ビール工場を造りたいですね。
――ビール工場ができれば、さらに関係性も増えていくかもしれませんね。
町田:そうですね。ただ、ビール工場を造ってビールを売ってというのは、結局全部誰かがやっていることの後追いなんですよ。クラウドファンディングもそうですし。だから、こんなビール工場があるんだ、と思ってもらえるようなものにしたいんです。まだイメージはできていないですけど、ただビールを造るだけではおもしろくない。
――先ほど「Hi-Time」ができて段階がひとつ上がったように見えると言いましたが、そんなビール工場ができれば、また段階があがるんじゃないですか。
町田:段階が変わる瞬間はまだあるはずで、それはビール工場かもしれないし、違うことかもしれない。ビール工場という形ができたら、そのときには今の僕が見えていない何かがそこで見えるような気もします。
――大森ではビールに対するイメージも変わるかもしれないですね。
町田:そうなるといいですね。参加していたキリンビールサロンでは、ビール造り体験がすごくおもしろかったんです。なかなかビールを造れる場所ってないですし、もっと自由に造れたらいいなと思っていて。でも、みんなが参加できるビールの形が今はまだ見えていないんですよ。ただ、それも活動しながら見えてくるようになるのかもしれないですね。
DATA
Hi-Time
営業時間:15:00〜20:00(水〜金)、12:00〜19:00(土・祝)
住所:東京都大田区山王3-1-2
交通:JR大森駅山王口から徒歩約5分